ishibashihiroki’s blog

経済アナリスト

ケヴィン・ケリー x Slack 「感情的にAIを怖れるな」

スカイネットのような「ロボット・アポカリプス」への怖れを鎮めることが出来る男がいるとすれば、それはケヴィン・ケリーだ。WIREDの創刊編集長としてだけでなく、”What Technology Wants”や”Out of Control: The New Biology of Machines”、”Social Systems and the Economic World”等の著者として、ケヴィン・ケリーはテクノロジーの未来、そして進化し続けるテクノロジーと我々の関係性について21世紀で最も先見の明がある理論家、フューチャリストとして知られる。
彼の最新刊である”The Inevitable: Understanding the 12 Technological Forces that Will Shape Our Future”で、ケリーはテクノロジーの進歩について我々が止めどなく怯えを感じがちな風潮について書いている。
またSlackの直近のインタビューに対してケリーは、未来の仕事についての彼のヴィジョンがどのようなもので、我々がテクノロジーの進歩に根深い怯えを感じてしまうのは何故なのか説明してくれている。

オートメーション(自動化)やAIについてこれ程怯えを感じる人が多いのは何故でしょう?
知性というものは、我々のアイデンティティのまさに中核にある。だから誰かが「我々の知性を1つにし、それを他の何かにインストールする」なんて提案をすれば、それはまさに我々のアイデンティティを失わせることを意味してしまう。すると、「俺たちはこれからどうなるんだ?」となるわけさ。言い方を変えてみて「あれやこれやがずっと良くなる。」と言ってみたところで「もうゲーム・オーバーさ。」と返される。迷いのない短絡的思考だ。「私には価値がない。」「私は必要とされない。」と彼らは考える。
こういうシナリオ、つまり「AIが人間に取って代わる」的なのは、すごくハリウッドっぽいね。「ザ・ハリウッド映画」みたいだ。あまりにもストーリー展開が読めすぎて、他の展開の可能性がなかなか思いつけなくなるほどに。
私の著作では、AIの未来について別のシナリオを描こうとしている。誰にとっても悪くない未来で、ヒューマニティーが高められ、今より遥かに住みやすい世界についてだ。だが、言っておかなければならない。未来を描くのは簡単ではないんだ。様々なものが絡み合い、微妙に予測した姿から外れ、幾つもの可能性がある。ちょうどハリウッド映画にもリブート版があったりするようにね。だから、何か1つ確実に言えることがあるとすれば、それは「私たちはいずれ死ぬ。」ということくらいなんだ。
あなたはテクノロジーの未来について、私たち皆が永遠に初心者(newbies)となる終わりなきアップグレードの連続の世界として描いています。そこで伺いたいのですが、率直なところそれ程アップグレードし続ける必要はあるのでしょうか?
そうだな、私が示唆しているのは、これが人間という種にとって明らかな問題意識として顕在化して来ているということなんだ。我々は自分たちが生み出したテクノロジーに頼り切っているし、実際それが我々の生活を良くしてくれてもいる。ラーニング(learning)とリラーニング(relearning)、アンラーニング(unlearning)を可能にしてくれているんだ。これらのスキルは誰にとっても人としての中核をなす重要なものになるだろう。何をするにおいてもだ。
今では我々は新しい物事に直面したら、自分に無関係なものか、それとももっと詳しく知って自分がしている内容に関連付けられるのか判断しなければならない。そして、次に新しい何かが現れた時には古いものを捨てて前へ進む心構えが常に必要になる。これは子供の頃に学校で教わらなかったことだね。学校では教わる内容がハッキリとしていて「あなたが勉強しなければならないのはこれです。身につけましたね。よく出来ました。」といった感じだった。これからはそうは行かない。
幸せ全般や仕事から得られる満足の多くは、自分がエキスパートになったという感覚から得られるものです。我々皆が永遠に初心者(newbies)となるような世界では何かをマスターするということはどのような意味を持つようになるのでしょうか。また、テクノロジーの進歩のペースが上がると、何かについて本当に詳しくなったりマスターすることにどのような影響を与えるのでしょうか。
テクノロジーについての研究を進めるうちに、私は次のような事実に気付いて本当に驚いた。地球という惑星全体で見ると、廃れて消えた技術やテクノロジーはまだないんだ。1つもね。過去のどの時代よりも多くの鍛冶屋が現在活躍し、ハンドメイドで望遠鏡を作成し、火打ち石や矢じりを作成している。もちろんパーセンテージの話ではなく絶対数についてだがね。何が言いたいのかと言うと、テクノロジーが進歩しても何かをマスターしたいと思う気持ちが廃れるわけではないんだ。
これは特殊な職業についてだけでなく、どんな職業にも当てはまる。もしあなたがエクセルのスキルを持っていれば、これから長い長い間、確実に仕事はあるだろう。でも多くの人がエクセルで食べていけるかは分からない。未来ではスキルを持つ人をもっと簡単に見つけられるようになっているからだ。とは言えどんな事情があったとしても、2070年にもしエクセルを使える人が必要になったら世界に3人位はまだいるだろうね。
だが私個人の考えとしては、「マスターする」ことのほとんどはメタレベルに属するので、いずれマシーンが必要なものを与えてくれるようになるだろう。
マシーンが答えを与えてくれる未来、人間は何が出来るのかという問いこそが重要になる。
AIやそれに似たシステムによって多くの知識やスキルが得られるようになる。すると、状況に合った適切な人物の見つけ方や専門知識へのアクセスの仕方が簡単に分かるようになる。
あなたの著作では、仕事に意義を見出すことの大切さについても触れられています。これからは新しいツールやオンライン・プラットフォームが様々なコラボレーションを可能にするだろうと。そこで伺いたいのですが、これによって今まで人が伝統的に築き上げてきた仕事のやり方は今後どのように変化し、私たちは仕事をどう捉えるようになるのでしょうか。
世界の長期的なトレンドを分析すると、あらゆる事物が求心性を失い非中央集権化してきたのが分かる。
それ程多くの情報が流通していなかった以前であれば、中央集権的でトップダウンに命令が下されるのが最善の方法だった。
ローマ時代の軍隊では、末端の一兵卒まで厳格に規律に従う仕組みが出来上がっていた。なぜなら、情報の流れが限定されていたので盲目的に命令に従うのが規模の大きな集団では最善の方法だったのだ。
しかし、現在ではピア・ツー・ピアでコミュニケーションを取れるようになった。それが協力して仕事をしやすい環境を可能にしてくれている。私たちはコラボレーションをさらに上のレベルへと高め続け、今後仕事のあり方をコラボレーション中心の方向にシフトさせ続けることになるはずだ。
スケールが今よりももっともっと大きくなる。現在生まれつつあるテクノロジーは、数十億人規模のコラボレーションを可能にしつつある。それにより、1人1人の仕事の可能性も驚くほど広がっていくだろう。
それが、我々が今まで想像することすら出来なかった数多くの未知への挑戦を可能にするのだ。